BMの今では昔の話 (09)

1981年9月に600ページの分量の社史が発刊された。 数人の職員を動員して何度もの校正を見た結果一字の誤字もなしで2000部印刷を完了した。
全国の国公立図書館,大学図書館そして関連機関に全部配布して,12月28日会社創立20周年記念式を迎えた。 その場所で表彰も受けた。
成功的に社史編纂業務を終えた私に職場医療保険理事職と,社報編集実務責任者をまた任せた。定年退職する日まで引き続き仕事をすることができることになった。
我が社では満54歳になると自分の誕生日に定年退職発令を受けることになるのに,1984年8月23日に定年退職発令を受けて会長様に退職のご挨拶をしに行った。
"会長様、あの〜今日定年退職発令を受けました。
永らく見守って下さって感謝します。 この会社を通じて、私そして家族全部よく成長しました。
この会社は私の青壮年時代の情熱をみな注いで仕事をしたので....私の分身とも同じ会社...永遠に覚えているでしょう。
会長様ご健康を祈ります。 ありがとうございます。 さようなら。"と挨拶を差し上げて出てこようとするけれど"ホンジョン氏"と私を呼ばれる。 ""ホンジョン氏,その間苦労たくさんされました,顔を見ると定年はまだ10年はもっといてもらわねばならないと思ったが..... 会社でもう少し仕事をするつもりがあれば話してみて下さい。"思いがけない話をされた。 会長様は私が.....この会社は私の分身とも同じだ...と話したことに感動を受けられたように話した。 昔話に"一言に千両借金を返す。" "話には種がある。"という言葉があるように...
つづき...
次はBMの大関嶺(テグァルリョン)時代が始まります。

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