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Paddles グラッシー運河を行く

原作:Jeff Davis KE9V

翻訳:Hiroto Tsukada JJ8KGZ

インディアナ州北部には数多くの湖沼がある。 特にChair-O-lakesと呼ばれる一連の湖や沼は、グラッシー運河と呼ばれる川で結ばれており、湖から湖まで何マイルもかけてカヌーを漕いで渡り歩くのには絶好の場所だ。

私が初めてそこに行ったのは、少年時代にキャンプ・クロスリーに参加した時だった。
そのYMCAのキャンプ地はノースウェブスター市の近くのリトル・ティぺカヌー湖の湖畔にあった。毎年春が来るとそのサマーキャンプに参加するため、私はよく数ヶ月かけて家々を訪問してキャンディーを売り歩いたものだ。 たくさんの家々のドアを叩き、「キャンプ・クロスリーに参加するための資金が必要なんです。キャンディーかクッキーをひと箱買っていただけませんか?」と…、一体何度繰り返したことだろう。それでも見知らぬそうした人々の寛大さのおかげで、9歳の時から14歳になるまでの間、私はその夏の二週間のキャンプを楽しむ事ができたのだった。

それから25年間、私は一度もキャンプ・クロスリーに行く機会が無かったのだが、時おりその夏のキャンプのひと時を回想したりしていた。そんなこともあって、最近私は11歳になる息子のジェイコブと共に、あの場所をもう一度カヌーでゆっくりと旅をしてみようと決めたのだ。そしてそんな旅にはQRPの無線機を持って行くのはうってつけだった。

息子のジェイコブにとってこの旅がひとつの大きなイベントになって欲しかったし、少し間ワクワクしながら過ごすためにも、私達親子は出発の数週間前から旅の計画を始めた。
旅のプランは、最初ビッグ・バービー湖からリトル・バービー湖までカヌーを漕ぎ、その後そこからビッグ・ティぺカヌー湖へ、そして最終目的地のリトル・ティぺカヌー湖まで行ってキャンプをながら一晩を過ごすものだった。翌日はその行程の全てをカヌーで戻り、出発地点まで帰って来ることにした。

予定していた土曜日の朝、早起きした私達親子はすぐに全ての荷物を私の1984年型シボレー・ブレイザーに積み込んだ。私の車はとても古く、近所の人々はきっと「もういい加減にスクラップにしちまえばいいものを…」と思っているに違いないようなシロモノだったが、それは私にとって捨てることのできない古い親友の様な存在だったし、しかも今まで一度もエンジンがかからない等といった事がなかったのだ。まして私の妻は、彼女のミニバンの屋根に私達のカヌーを載せる事など決して許さなかっただろうし…。

午前4時30分、私達は州間ハイウェイ69号線を北に向かった。
出発して最初の数マイルを走る間、私とジェイコブはこれから始まる旅の事についてあれこれと会話を交わしたが、30マイルも行かないうちに息子はすぐに眠ってしまった。かといってそんな彼を起こす理由は私にもなかった。ノースウェブスターに到着する頃には太陽も高く上がり、そこで私達はダンキン・ドーナツでちょっとしたヘルシーフードを買った。

私達は予定通り、午前7時に湖カヌーを浮かべることができた。空は晴れ渡り、気温は14度ほどで涼しく、この小さな冒険旅行にとっては完璧なスタートといえた。私達が持ってきたもの ― それはテント、寝袋、ひと揃えのキャンプ道具、食料と飲料水。そしてもちろんQRPの無線機とバッテリーを忘れることはなかった。

湖面はとてもおだやかで、私達のカヌーはまるでガラスの表面に浮かんでいるかのように思えた。カヌーの先端はその湖面を薄くスライスするかのように進み、一時間かそこらで、背後に見えていた出発地点は遠ざかり、そこでポツンと私達親子の帰りを待つ私の車、ブレイザーの白い車体も、とうとう視界から消えてしまった。

湖のずっと向こう側にあるグラッシー運河に向かいながら、私達は岸の近くを漕ぎ進み、早朝の湖岸の風景を楽しんだ。 私が前回ここを訪ねた時と比べて、新しい住宅がたくさん増えてはいたが、今でもまだ手付かずの自然が多く残っており、そこで私達は野生の動物を間近に見ることができた。そこはウグイス、キツツキ、ウズラ、そしてマガモなどの野鳥の安息地となっており、その湖をとり囲む自然環境の豊かさが、多くのアウトドアスポーツを楽しむ人々を惹きつけていた。

予定していたランチタイムよりもずっと早く、私達は湖の対岸のグラッシー運河の入口まで来ることができた。運河自体はそれを取り囲む地形と、自生する様々な水生植物によって独特な美しい景色を見せてくれていた。

途中2−3度湖岸で休憩し、足腰を伸ばしたり昼食をとったりしながら、私達は午後2時頃にはティッペカヌー湖のほとんどを横断しつつあった。 気温が30度近くまで上昇してきたので、私達親子はインディアナで一番深いその湖の冷たい水に身体ごと浸かる絶好のチャンスだと思った。

泳いでリフレッシュした後、遅くとも午後5時半までには目的地のキャンプサイトに到着しようと、私達は再びカヌーを漕ぎ続けた。予定よりも90分ほど遅くなったが、キャンプサイトに到着し、カヌーから荷物をおろしてテントを設営し、ダイポールアンテナを張るための場所を探すのにはそれほど時間がかからなかった。
この老人が交信を終えた後、バンドは水を打ったように静かになった。私は彼がとても重要なことを私たちに教えてくれたような気がした。その日、私は朝の内にアンテナの調整をし、その後所属している無線クラブの機関紙を作るために、地元のアマチュア無線家たちとの打ち合わせに出かけるつもりでいたのだったが…。

私はTenTecの1340CWトランシーバーを持ってきていた。 それは私のコレクションの中で最もバッテリー効率が良い無線機とはいえなかったが、その7.2アンペア/Hのバッテリーパックは、たった一晩だけの運用に対して充分持ちこたえてくれるものだった。ましてや息子のジェイコブがこの無線機を組み立てる際に手伝ってくれたこともあって、私は彼がアマチュア無線の免許を取得したらすぐに使えるように、ノービス級の周波数帯で電波を出せるようにセットしていたのだ。

ジェイコブがキャンプファイヤーのための焚き木を集めている間、私はダイポールアンテナを上げるのに忙しかった。私はできるだけキャンプを早く設営し、夜になって短波放送局の電波の混信が強くなって来る前にいくつかの交信をしておきたかったのだ。 しかしアンテナを9メートルほどの高さに設置し終えた頃には太陽はすでにかなり傾き、7メガ帯では短波放送の信号が思いのほか強くなってきていたために、私達は無線機の電源を切り、夕食を作って食べることに専念せざるを得なかった。

焚き火であぶるホットドッグの味は格別だった。私達はそれぞれ二つのホットドッグを食べ、三つ目も食べようかと思ったが、代わりにひと袋のマシュマロを焼いて食べることにした。 実を言うと、カヌーを降りて乾いた土の上に身体を横たえるのは本当に気持ちの良いものだった。再び無線機のスイッチを入れようとも思ったが、私と息子は星空を見上げながらしばらくお喋りを楽しみ、その内に二人ともすぐに眠りに落ちてしまったのだった。

夜明け前、私達は小鳥のさえずりと、湖の対岸から聞こえてくるニワトリの鳴き声で目が覚めた。夕べはまだ一局とも交信していなかったことを思い出し、私はTenTec 1340の電源を入れた。このリグの良いところは充分な音量を持ったスピーカーが無線機のケースのトップカバーの内側についていることだった。 折りたたみ式のキャンプテーブルの上に無線機を置いて私がボリュームを調整しているうちに、ジェイコブは荷物の中から便箋用紙と鉛筆を取り出してくれた。

ここ2−3週間、息子と私はモールス符号の聞き取り練習を重ねてきた。その方法は私が
ノービス級の運用周波数帯でゆっくりと送信している局を見つけ、ジェイコブが充分にそれを聞き取って筆記できるような速度で送信し、交信を聞かせるものだった。それは彼がモールス符号を覚える上でなかなか良い効果をもたらし、彼自身それを楽しみながらログブックに交信記録を書き入れる方法も学んだ。彼が無線の免許を取得するのには、もうそれほど時間はかからないだろう。
太陽が湖面を照らし始めた頃、私達はとても強力な局がCQを打つのを聞いた。 私はすぐにその局を呼んでみた。 それはアイオワ州のシーダーラピッドに住むW0SEGという局だった。 ルークというその82歳になる男性は、66年間もアマチュア無線を楽しんできていると言い、そして元はコリンズの技術者だったそうだ。その老人との交信は長時間の楽しいラグチューとなり、ジェイコブにもかなり強く印象に残ったようだった。

その後もたて続けに2局と交信し、私達は軽い朝食を済ませてしまおうと決めた。 小さなキャンプファイヤーはまだかすかにくすぶっていたが、私達が食べようとしているグラノラバーやバナナといったものには、それは必要の無いものだった。 朝食の後、私達はキャンプを撤収して再び帰途につくまでの間、あと1時間かそこらは無線を楽しむことにした。

無線機に戻ったジェイコブはまたひとつCQを聞きつけ、私に応答するように大声で促した。メイン州のストックトン・スプリングスに住む、N1OJE、ダグがCQを打っていて、私は彼を呼んで交信を楽しんだ。その後少し高い周波数で今度はウィスコンシン州のKA9SXH、テリーと交信できた。続いて2−3局と交信した後、私達はジョージア州のトッカに住むKO4QO、ジョージと交信し、それを最後にキャンプを畳むことに決めた。ジョージはシングル6L6アンプの、Knight VFOを持つ自作の無線機を使い、20Wの出力でダイポールから電波を出していた。

湖での朝のひととき、私達は荷造りを終えてその場を離れるまで、合計14局と交信できた。
その週末の冒険は素晴らしいものとなった。ジェイコブと私はそのすべての時間を心から楽しんだ。そしてそのQRPの運用がきっかけとなり、私はまたアマチュア無線に新たな楽しみを見出し、それ以来私は自分の手で組み立てた無線機のスピーカーから私のコールサインを呼ぶ信号を聴くと、それが隣の州からでも、あるいは海外からのものでも、いつも嬉しくなって顔がほころんでしまうのだ。 


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