無線電信の巧みと技

William G.Pierpont N0HFF

-改訂2版-

第34章  本物のスキルの性質を説明している例

 

第33章 目次
 

次のものはあるオペレータが達成したいろいろなスキルを示す文章から抜粋したサンプルです。

それらは、電信の本当のスキルの自動的、潜在意識の性質をはっきりと説明していて、振る舞いの習慣的な形であり、意識的な介入又は努力なしでなされたものです。

それらはまた、何がなされたことによって、何ができたかを示しています。

物事をよくこなす人達は、それと格闘することはありません:彼らはそれをすることを楽しんでいます。

スキルのより低い程度から、非常に高い程度の範囲まで、スキル習慣の階層があることを見ることができ、各ステップはその前のステップよりもより大きい自由を得ています。

他の何かをしながら受信する
過去、現在の両方に、話をしたり、他のことをしながら、一方で同時に送信又は受信をする非常に沢山の例があります。古い有線電信のオペレータは典型的に、35から40wpmのスピードでこれをすることができました。今日のあるいく人かのハムもこれが可能で、しばしば同じことをしています。

 

同時に送信し、書くこと:-

殆どすべての古いモールスオペレータは、ある程度までこの種のスキルを開拓し、そして、いつも、1つの手でメッセージ用紙にナンバー、時刻、日付、その他を書く一方で、他方の手で送ることができました。忙しいオフィスのなかでの、仕事のプレッシャーからそれはほとんど必須でした。


同時送受信:-

カンサス州の小さい町、Salinaの近くのある鉄道駅のオペレータは鉄道積み荷目録(貨車積み荷のリストの詳細)の束を、彼がもう1つの通信に呼ばれながら、送信していました。休止することなしで、彼は他の手で、彼のキーをオープンし、受領証を送り、キースイッチを閉じ、メッセージ用紙を取り上げ、そして、それをタイプライタに滑り込ませ、規定位置にロールし、そして彼の右手で積み荷目録を送り続ける一方で、左手のひとつの指でもって、そのメッセージをコピーすることを続けていました。

これは本職のオペレータにとって、全く稀ではありませんでした:沢山の例があります。

少し違った例は、多くの古い鉄道のオペレータにあっては、普通、片方の手で入電メッセージをコピーし、そして、同時に他の手でラインにそれを送り出すことをやっていました。


同時に2つ又はそれ以上のメッセージを受信すること:-

カリフォルニア沖のある船のオペレータは、2つの異なる海岸局、KPHとKPJからの彼に向けての同一メッセージを、同時に受信するというおもしろい経験をしました。この2つの局は同じ時刻に彼を呼びました、そして彼は片方に どうぞ と告げたのですが、それに対して両方が一度に送信を始めたのです。彼はその両方をコピーすることを試みました。これは両局が同じメッセージを両方が送信していることがわかり、非常に容易になりました。この話のクライマックスは、同じメッセージに対して、両方の局が、彼に勘定書を送ったときでした!

 1924年にボストン郵便電信局で、1人のワイヤーチーフが、1つの手でフランスのメッセージをもう1つの手でイギリスのメッセージを同時にコピーできると宣言しました。彼のチーフオペレータは挑戦をかけ、すぐに出て来て、そして、各々の言語で1つのメッセージを取り出し、ワイヤーチーフへ鉛筆とパッドを用意し、そして、普通のキーイングスピードで同時に彼に2つのメッセージを送りました。このワイヤーチーフは彼の言葉通り、そのオフィスにいる他のすべてのオペレータのいる中で、両方を完全にコピーしました。

昔の海軍オペレータは1つのメッセージをコピーする一方、しばしば、彼がコピーしている通信を妨害していた他のメッセージなどを頭で記憶でき、それらをあとから非常に正確に書きとめた宣言しました。彼は言いました、彼は特にかったるく興味のない材料をコピーしているとき、彼はいつも海岸通過、支払い又はこれらの伝送の他の興味ある事柄に関して隣接周波数において、同じ時間に聞いたメッセージの内容を常に十分に意識していました。

サンフランシスコの1人のエキスパートオペレータは、同じ時刻に3つの別々な電報を正確に記憶して書き出しできる能力を持っていると見なされました。これは少し難しいようです!古いKPHの Robert (Dick) Johnstoneはアメリカンモールスとモールス国際コードの両方を同時に使いこなした、珍しいオペレータであり、当時の最高のオペレータの1人であったと言われています。彼は他の手でアメリカンモールスで送りながら、同時に国際モールスのメッセージを送ることができました。同じ宣言は、また他の人たちによってもなされています。


他の精神的働きとの比較と議論

我々は、全く違ったあることの思考の一方で、車をドライブしているように、他の常習的活動でもって、ある程度にこれと比較することはできないでしょうか?(例えば、“私は‥‥で停止したか、あるいは走っていたか?”後でどうだったかと思う。)あるいは口述をとった後に速記者のノートを見て、口述以外に、同時に同じオフィスの中で語られているジョークが記されていてびっくりさせられたように。

一度に2つの事、1つは潜在意識の又は自動的の、そして他の意識的なもの、をすること、は比較的に平凡なことです。例えば、私はある全く異なるあることについて意識的に思考している一方、印刷物を声を出して読むことができ、そして読み続け、それでそれは意味ありげに聞こえます‥‥但し後へは殆ど持ち越さないで、あるいは私が声を出して読んだものの回想なしで、(そして、その間になにを考えていたのかわからなくなることがあります。)

2つのメッセージを同時にコピーできたオペレータに関しては、2つのアクションが自動的であったということは可能なのでしょうか? 彼らは、他のものを効果的に左の耳で聞き、右手でそれを書きながら一方で、右の耳で1つを聞いてそれを左の手で書いていたのでしょうか? どうなんでしょうか?

あるいは、たとえ明らかに高速になされたものであったとしても、1つは自動的そして他は意識的だったのでしょうか?もし、両方が自動的ならば、彼らはまた、同時に違っているあることを考えたり、聞いたりすることが自由にできるのでそしょうか?このことは、彼らが、2つのメッセージを聞きながらさらにその環境の中にある3つ目のメッセージあるいは声を聞いていると言った幾人かの経験から可能であると思われます。

あるいは、これは、明らかに複数で同時に取り扱っているにも拘わらず、操作する人からすればそのコンピュータをあたかも一人だけで使っているように感じさせる大型コンピュータの“サンドイッチ”オペレーションのようなものなのでしょうか?

実際、コンピュータは複数の仕事をパーツに分割することによって為し遂げていて、そのパーツはスケジュールされ、そして織り込みの手法でコンピュータ動作の最適使用のための枠組みにより、タイムスライシングと各々の分割を保ってコントロールし、そして各々のオペレータには独占的制御をさせていると思わせるだけです。

人間の例では、いかに空港の管制官が、同時にいるすべての航空機の到着と出発に警戒を保って、“同時的”注意を各々に与えているように思われながらやっているのでしょうか?  大変興味深くないですか?
 
速度(スピード)

1933年の記述によれば、よい商業オペレータは、通常のニュースから表形式の素材まで何でも取り扱いながら、平均的40rpmで8時間を超えての時間、オペレートできると書かれています。

送信している手は絶対に安定であり、リズミックでさえあり、効果的にコード化され、そしてスペースが置かれました-聞くのが楽しくなるほどです。米国連合通信社(AP)の主要なトラフィック記事については、60~70wpmのレンジにスピードアップすることは珍しいといわれませんでした。 1937年にWCKは2つのプレススケジュールを持ちました、1つは耳によりコピーするための約45wpm、他の1つは自動的レコーディングと印字テープ記録のための大変速いものでした。 海軍オペレータのPete PettitとPaul Magarrisは、より高速なプレスを完全にコピーできました。有線電信士のRalf Graham 、W8KPEは、AWA会議の間、スミソニアンにおいて、10人の証人の前で79.4wpmをコピーしデモンストレートしました。‥‥George Batterson,W2GB(最初のAWA会長)は94歳のとき、まだ、50wpmをコピーすることができました、しかし、彼の送信速度はただの35にまでスローダウンしたと不平を言いました。Mike Popella KA3HIE は 45 wpm 手書きコピーできました。

Jim Farrior,W4FOKはこの進歩の道程を書いています:-「私が13歳の少年であったとき、私はアラバマの小さい町に住んでいた。鉄道電信オフィスは私に興味を持たせた数少ないものの1つであった。3人のエージェント電信士の1人が、私に彼のサウンダ(音響器)と電鍵をくれた。いつも夜のエージェントはなすべき仕事は殆どなく、そしてしばしば私に送信し、私にオペレーティングの手順その他を語ることによって助けてくれた。このサウンダはいつも近くで動作しており、そして私はだんだんワイヤから直接にコピーできるようになった。私は人が話すことを学習するように、かなり多くそれを学んだと信じている。何故ならば、私は学ぶ事を試みたのを思い出せない。私はそれは本当に大変容易であったと語られ、そして私はそれを信じたと思っている。私は本当に喜びを持ち、そして、いつか私は電信士になるのを夢見ていた。
 

過去の若い熟達したオペレータのいくつかの興味ある例

1856年に、7歳のJohn O'Brianは彼の兄(15歳でローカル鉄道オフィスの電信士であった)Richardのために電報を届ました。2年後、Johnはオペレートの仕方を教えるよう兄を説き伏せた。Johnまだ9歳でしたがよいオペレータになって、自分自身で通信士の仕事をしたかったのです。鉄道会社は彼に町の近くの場所の仕事を提案しました、彼はそれに飛びつきました。当時、人々は若い電信士を求めるのが普通でしたが、彼は若すぎた!しかしながら、すぐに彼の優秀な仕事振りが認められ、それ以上の異議を唱えられませんでした。

これらの若者は動機づけられ、素早く習得しました。南北戦争が始まったとき、彼は多くの他の者と一緒にこぞってボランティアをして、最も若いオペレータになり、そして1862年始めには、早くもバージニアにあるFt.Monroeの重要な軍の局の、アシスタントオペレータとなり、エキスパートと見なされました。司令官General Woolははじめ、彼をみたとき、仰天させられた。バージニアでのNorfolkにおいての次の軍の配備について、あるとき、Johnは彼が本当に眠っている間に入って来た2つのメッセージを彼が読んでいた本の中に書き下しながら、走り書きしたのです。(南北戦争オペレータはしばしばあり得ないほど長時間、厳しく危険な前線状態のもとで働きました、そしてほんのちょっとの合間を見て、ほんの少しの瞬きの間に知らないうちに眠りました。)

 

James H.Bunnelは13歳でオペレータになりました。彼は大変背が低かったので、彼は電信の装置に届くために、高い腰掛けに座らなければなりませんでした。16歳のとき彼はそのカントリーの最良オペレータの1人となり、彼のスピードは38wpmと記されています(実ワードカウントによる)。これらは、1800年代中期に若くして熟練した電信士になった、多くの少年たちのたった2つの例です。


 

効果的なコード学習の例

最も若い例:辛うじてブロック文字だけ書くことができる、4歳児達がコードテストをパスすることができています。4歳児が我々以上にできると考えられますか?

 

それでは、より高度なスキルレベルの例:1909年~1910年にDon C.Wallaceは友達John Cookと一緒にコードを学習し、そして、カリフォルニア San Pedroにある商業局PJのオペレータの助手をしました。1910年、彼は初めて一つの局をまかされました。1915年彼は1st クラス商業オペレータのライセンスのテストをパスし、コンチンネンタルコードで25wpm、アメリカンモールスコードで30wpmの取り扱いを証明する能力を要求されました。その後、Tony Gerhardtとともに彼は“burnout”と呼ばれた1つのゲームをしました。1人がスピードキー(バグキー)でもって彼ができるだけ速く送り、もう一人がタイプライターでコピーするというもので、このアイデアは誰がより早くできるかをみるためになされました。ゲームはDonが45wpmを超えて送り、約55wpmを受信できるまで続きました。

後で彼は、彼自身のスピード能力とほぼ同等の35人のアシスタントオペレータのスタッフを必要としました。短い期間に、彼はそれらを彼が配置されていた海軍の人員のなかで見つけました、そして、それを次のような方法で行いました:要求されるスピードで彼のリクエストを送信し、それに誰が応答するかをみることです。1920年より前、少なくとも36人の高速熟練者たちがいました。彼らはコードをそれだけ楽しむ人達であったので、彼らは高いゴールに到達しました。教訓:もし、あなたがそれをスルことを欲するならば、あなたは恐らくできる。

 

Arnieの父は鉄道駅においてチーフ電信士でした、そしてかつて鉄道オペレータのコンテストの60wpmアワードで優勝しました。彼の息子で、8歳の、Arnieは彼の暇な時間のはいつも局の周囲をうろついていました。彼はどのようにしてかを語りませんでしたが、彼はひとりでモールスを覚え、そしてやがて約25wpmで送り、受けることをができるようになりました。父親が不在のとき、彼は父親宛の列車指令をコピーしました。彼はオペレータとして働くことを望みました。多くの説得の後、彼の父親は、彼が9回目の誕生日に達したとき、彼自身で、すべての局をオペレーとすることができるだろうと言いました。そして、彼はその通りやりました、終日、彼の父親が彼の肩越しに見つめ、そして一、二回微笑みました。Arnieは、鉄道に、学校の後と週末に、1時間当たり50セントで、セコンドシフトオペレータにしてくれるようにたのみました。そのために彼は特別な検定試験にパスすることを要求されました:彼の左手でダッシュに1つのキーを使い、そしてドットに右手で第2のキーを使って、25wpmで列車指令を送信するというものでした。彼は2~3ケ月の後、それに成功しました、そしてとうとう彼は夏の間中、たったひとりのセコンドシフトオペレータとして仕事を与えられました。
 

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