BMの今では昔の話 (35) 黎明期のアマチュア無線とその発展

マルコーニが約100年前に長波,中波による無線電信の実験を開始,有名な大西洋横断の通信実験に成功するや米国,英国外に世界各国でも多くのアマチュア無線士や企業などで商業通信のために長波,中破を使い始めた。 この時には無線局の許可という概念がなかったために混信問題がたくさん発生した。
この時アマチュア局が使うことができる波長は200m以下(1.5mHz以上),トランス入力1kw以下に定めた。 これが後でアマチュアによる短波帯開拓の端緒(糸口)になった。
1920年に入ってきてラジオ放送が急激に普及して事実上ラジオ放送局の影響で一般無線通信局間に多くの混信が発生した。 ここで放送法が改正されて周波数の使用期限,無線免許の交付,更新,譲渡手続などが明文化された。
またこの時からアマチュアによる短波帯の開拓が成り立って,1921年11月にはRadio club Americaのアマチュア局1BCG局によって英国のスコットランド間に波長160m (1.8mHz)によるOne way大西洋横断 QSOに成功したし,1923年11月にはW9UZ,W4CF,K6BJで8AB(フランス)間に波長103m (2.9mHz)による大西洋横断 QSOに成功するなど順次通信距離が伸張していった。
1927年から呼び出し符号の前に初めて国家を表わす国際符号が付加されて1AWはW1AW等で表わすことになった。
当時のアマチュア無線家たちは不屈の精神で実験に没頭して技術的パイオニアとしての地位を確立していきつつあった。 その後の電離層の作用によって波長が短い短波帯が小電力で遠距離通信が可能だということがアマチュアによって実証された。 当時長波の無線通信は大電力を必要としたことに比べて,簡単で小規模設備で世界各国と十分に通信になるというのは実に画期的な大発見であって,商用通信も短波全盛時代での移行が成り立つことになった。
この功績によってアマチュア無線には多くの周波数が割当された。 当時のアマチュア無線家は全部モールス通信を使ったのでモールス通信はアマチュア通信の原点になった。
米国は1914年5月にHiram Perey Maxim (W1AW)によってARRL (American Radio Relay League)が結成された。 その後の1925年4月にはIARU (国際アマチュア無線連合)も創設してMaximが会長に就任して幅広いアマチュア無線活動によりアマチュア無線界に寄与した。
1926年6月日本アマチュア無線連盟JARLが設立されるや英文になった設立宣言文が全世界に向かって発信された。 草創期JARLメンバーは30人だった。
韓国では1955年4月20日ソウル大学校工大生たちを中心に連盟設立を決議して東国無線高等学校(今のクァンウン高等学校)にKARLの看板を掲げて翌年の1956年4月21日ソウル大 文理大講堂で創立総会を開いて正式にスタートし,ソウル大生,一般同好人約40人余りが参加して初代理事長として広報処技官をしておられたイ・イングァン氏を推戴した。
イ・イングァン初代理事長様は後日HL1BXソ・ジョンウク博士を婿とされた。 私はその当時海軍でUCをしばらく楽しんでいる時なので1957年に私が転役して職場生活を始めた翌年の1958年第3次総会から出席をした。

memberof Corea Cw Club / C3 www.cwqso.kr
member of A1 club (Japan) www.jarl.com/a1

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